ブーたれながら生きるためにやる
先の「自作の小屋で暮らそう」からのくだりになるのですが、
不便でも人は生きていくために結局「ブーたれながらもやる」
生き物なんだろうな、と
(著者さんはまったくブーたれていませんでしたが)
私は、不便になった時、一旦かなり落ち込んで、
それから諦めて問題に取り組む方です笑
でも、心を決めてからは意外と無心になって楽しいんですよね
そうするしか、生きていけないなら
そうやって作り上げた自分の生活に愛着もわくし
不便な方が生きている実感を持てる
何でこんなめんどくさいことしなきゃならないんだろうって思いながら、
あーでもこれが生きるってことだよなぁ
って思える
でも今の社会でそんな場面ってほぼ無い気がする
便利、快適、のために
自分を排気ガスのなかで切り売りしている気がしてきた
今まで必要だと思ってきたもの、ほんとうはほとんど要らないんじゃないかな?