人に見せるための自分をやっていた
「自作の小屋で暮らそう-Bライフの愉しみ-」
を読んでもうひとつ感じた事は
"恥ずかしさ"だった
自分の、矮小な部分
私は今まで「人に見せるための自分をやっていた」
人にいいねって言ってもらえるような、
はてまた斜に構えてわかる人にはわかるでしょ?
といったような気持ちで過ごしてきた部分がある
他人の目ありきで、自分の心の本当に欲する生き方をしていなかったんだと
それらを言葉で表してなんだか綺麗事のように片付けてしまおうとしていることさえも
恥ずかしい
そうでなく、著者さんのように自分の自分だけの願いのために生きていけるだろうか?
いや、そうしたい
そう生きていきたいんだ
それはすごいとか他人に注目されるような事じゃない
どんなにみじめで小汚くて、凡に埋もれるような話でも、
私は私だけの願った人生を作りたいと思った