月8万でゆるくいきたい

1年の半分働いて残りをだらだら過ごしています。

誰にも邪魔されない日々

ただいまはだらだら期のただの無職なので、


ほぼ人と関わることがありません



友達もあまりいないので、ラインなども適当なところで切ると、

「ああ、茶とらは今かまって欲しくないんだな」と察してか、


しばらく連絡してこなくなります



10年来の恋人なんかも、自分の時間が好きな人なので、

気が向いた時にたまーに連絡したり、会うくらいです



というわけで、


誰にも邪魔されない自分"だけ"の時間が、

流れてるんだか流れてないんだかわからない速度で


日々を刻んでいきます



たまにものすごく働きたくなるような時もあるのですが、

今のところはずっとこうしていたい気分です

働きたくないでござる2

「自作の小屋を作ろう」を読んだおかげで、


働きたくないでござるの気持ちが加速してしまった



というか、その気持ちを誤魔化していなす事が出来なくなってしまった



再三言うけれど、仕事が嫌いなのではない

仕事に付随する人間関係が死ぬほどイヤなのだ



その人間関係も仕事のうちらしいので、

結局仕事が嫌いという話にもなるんだけれど


愛想笑いと、ゴキゲン伺い、

女子社員の噂と大げさな悪口大会

楽しくもない飲み会



やりたくなさすぎる



どうせこんなことを言っても割り切ってドライな人間を押し通すことも出来ず、


愛想笑いをしてゴキゲン伺いをして、

聞きたくもない悪口大会を右から左に受け流して、

行きたくもない飲み会に参加している


そんな自分を想像するだけで疲れてしまう



なるべく上記のない仕事ならしたい


ハローワークの職員にそう言ったら説教をくらうかな笑


ああ、働くことによって付随する人間関係を想像するだけでげんなりする



社会人の皆様がスーパーマンに見えまする

キレイすぎるものがニガテ

さてそろそろ就活もコンを詰めて行かないといけないのだけれども、

私は職場としてキレイすぎるところがニガテである

キレイでオシャレで整ったオフィスなど、頼まれても働きたくない

(誰もわざわざお前に頼まないよという声も聞こえてきそうですが笑)

それよりは、

コンクリートのじめじめしたややカビ臭さの残る地域の役所のような空間の方が落ち着く

キレイすぎるところやものというのは、

自分もそのレベルに取り繕わなければいけないのがしんどいのだ

毎日毎日キレイなものに囲まれていては、

頭が狂いそうになる

とりあえずの恥ずかしくない服を着て、

とりあえずの化粧をし、

とりあえず髪を束ねる

キレイすぎるものにはそれくらいでいいよという気軽さがない

潔癖症の方にはいいのかもしれないなぁ

ミニマリストがしっくりこなかった理由

私、一時期は自分のライフスタイルを模索して、、

ミニマリストさんのブログなんかも読んでいました

(実践はしなかったけど)

ミニマリストさんの、ものをあまり持たない生活は、それなりに魅力的で、

がんがん消費しようぜ!もの沢山だぜ!

みたいな雰囲気が苦手な私は、

ミニマリストもありかもしれないな」

と、思いを馳せたりもしたものです

が、

ミニマリストは"カッコよすぎる"んですよ

そう、

なんだか「モノを持ってないことがステータス」のようになっている

一種のファッションな訳です

そこで、何かが違う、となって

結局ずっとだらだらした低下層の生活のままです

「自作の小屋を作ろう-Bライフの愉しみ-」を読んで、ピンと来たのはその部分です

なにせあまりかっこよくはありません

自作の小屋暮らしっていうとカッコよさげに聞こえますが、

実際やってるコトはう〇この処理だったり、

虫やカビとの戦いだったり、

洗剤を使わずに洗濯する

といったようなかっこよくないことです

というか、先の本の著者さんからは

「俺こんな生活してるの、どーよ?」

といった"見せ"の部分があまり匂ってきません

「見たいなら見てってくださってかまいませんよ」

ぐらいの気の抜けた返事というか、

下手したら「だらだら寝ていたいので、ほっておいてください」

というのが返ってきそうです

そこがよかった。

「ああ、この人はほんとうに自分"だけ"のためにこの生活をつくったんだ」

というのが、妙にうれしかったです

かといって、真似できるかと言ったらそれも違います

私は私のエゴがあって、捨てられるものも作り出せるものも

著者さんとは全然違いますから

既存のもので、ピッタリくるものがなければ自分で作る

その精神でライフスタイルが最終的にカタチになって"しまった"というか、

それくらい行き当たりばったりでエゴに生きていきたいですね

湯水のごとく時間を使う

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朝、最近は10時頃に目が覚める

世の中はとっくにお仕事モードらしいです

とりあえず小麦粉をこねて、朝食をつくる

つくったけど、お腹がすいていない

ので、コーヒーを飲みながらゲームをしてお腹がすくまでまつ

湯水のごとく時間を使っております

時間のムダづかい

源泉掛け流しの温泉みたいに、流れてくる時間を使い放題

ぜいたくですね笑

お日様が高く登って、誰もいない道端がとてもすがすがしい

中学生の時、遅刻して

時間が止まったような静かな通学路を歩いてた時に、

「一生こうしていたいなぁ」と、

木陰の葉の間から落ちた光を眺めていました

大人になった今も、考えてることはあまり変わりありませんね笑

ますます働きたくないでござる

人に見せるための自分をやっていた

「自作の小屋で暮らそう-Bライフの愉しみ-」

を読んでもうひとつ感じた事は

"恥ずかしさ"だった

自分の、矮小な部分

私は今まで「人に見せるための自分をやっていた」

人にいいねって言ってもらえるような、

はてまた斜に構えてわかる人にはわかるでしょ?

といったような気持ちで過ごしてきた部分がある

他人の目ありきで、自分の心の本当に欲する生き方をしていなかったんだと

それらを言葉で表してなんだか綺麗事のように片付けてしまおうとしていることさえも

恥ずかしい

そうでなく、著者さんのように自分の自分だけの願いのために生きていけるだろうか?

いや、そうしたい

そう生きていきたいんだ

それはすごいとか他人に注目されるような事じゃない

どんなにみじめで小汚くて、凡に埋もれるような話でも、

私は私だけの願った人生を作りたいと思った

ブーたれながら生きるためにやる

先の「自作の小屋で暮らそう」からのくだりになるのですが、

不便でも人は生きていくために結局「ブーたれながらもやる」

生き物なんだろうな、と

(著者さんはまったくブーたれていませんでしたが)

私は、不便になった時、一旦かなり落ち込んで、

それから諦めて問題に取り組む方です笑

でも、心を決めてからは意外と無心になって楽しいんですよね

そうするしか、生きていけないなら

そうやって作り上げた自分の生活に愛着もわくし

不便な方が生きている実感を持てる

何でこんなめんどくさいことしなきゃならないんだろうって思いながら、

あーでもこれが生きるってことだよなぁ

って思える

でも今の社会でそんな場面ってほぼ無い気がする

便利、快適、のために

自分を排気ガスのなかで切り売りしている気がしてきた

今まで必要だと思ってきたもの、ほんとうはほとんど要らないんじゃないかな?